@awesomenewways @syntaxdiscourse なんか言語からどんどん離れていっていますね。もっちさんにもご迷惑なのでこのへんで終わりにしましょう。
posted at 12:21:19
@awesomenewways @syntaxdiscourse Kyouroさんは、それなりの直観や理論的要請からくる分析までを「山勘」とお呼びになっているのでしょう。それはもちろん根拠がありますよ。
posted at 12:07:02
@awesomenewways @syntaxdiscourse どのツイートでしょうか。
posted at 11:59:20
@awesomenewways @syntaxdiscourse といいますか、すでに代弁してくださったのですよ。そのご厚意に感謝しつつ、別に私が言おうともっちさんがおっしゃろうと、大意は同じです。
posted at 11:43:39
@awesomenewways @syntaxdiscourse もっちさんの「誤解」を指摘される前に、今までの議論を一度落ち着いて読み返してごらんになるほうがいいかと思います。お持ちの疑問は、おおむねひととおり答えられていると思います。
posted at 11:41:28
@awesomenewways @syntaxdiscourse 「そう分析したということそのものによって支持される」とはなんですか。「後付けの分析」それ自体が鉛筆を転がして決めたものではなく、何らかの経験的・理論的動機があってやっているのですから、「分析した」ということではなく、その分析の動機となった事実なり整合性なりが根拠になります。
posted at 11:32:45
@syntaxdiscourse @awesomenewways ありがとうございます。一点だけ補足させてください。母語話者が-berryという綴りに引っ張られている可能性もあるので、「/ˈσ.bəri/ という果実名を聞いたとき」としたほうがいいかと思います。
posted at 11:29:59
@awesomenewways @syntaxdiscourse 「決定的な」根拠とはならない、ということです。別に鉛筆を転がして決めているわけではなく、たとえば母語話者の感覚や同じような-berry系の語の存在、英語の動植物語彙における複合語の多さなどから区切りが強く示唆されるのであって、それは傍証の一つにはなります。
posted at 11:27:10
@awesomenewways @syntaxdiscourse テニオハがどこか間違っているのか、ちょっと文意が汲み取れませんでした。他のデータや理論の他の部分との整合性から、どの「山勘」が一番いいかを決めるのです。「こういう勘が働いた」というだけで決めることはできません。
posted at 11:14:20
@syntaxdiscourse @awesomenewways モデルモデルと言っていたのですが、その意図するところが共有できていなかったのが齟齬の原因だったのかもしれません。そこを補足していただいて助かりました。
posted at 11:10:58
@syntaxdiscourse @awesomenewways 大変明快な補足説明ありがとうございます。そう、そういうことが申し上げたかったのです…!
posted at 11:06:37
@awesomenewways では、そう考えていただいて構いません。「山勘は決定的な証拠にはならないが、傍証の一つにはなる」と思ってください。
posted at 10:55:47
@awesomenewways そんなことしてる研究者がいるんですか? たとえば「出る」と「出す」は別に頭子音が同じで意味が似ているからというだけでd-を切り出しているわけではありません。溶ける・溶かす、枯れる・枯らすのような同じ交替がたくさんあるからd-も切れるかなと言われているのです。
posted at 10:45:06
@awesomenewways それを山勘と呼んでいいとは思いませんが、まあいいです。どのモデルが最適かを決める役にはあまり立たないでしょうが(話者の直観を何らかの形で調べることができれば一つの傍証にはなります)、いくつか分析の可能性を考える際に参考にはなっているでしょう。
posted at 10:32:48
学習まぐなかるた
posted at 10:29:13
@awesomenewways それを根拠不十分とするなら、自分は一形態素として分析すればいいだけの話です。それも恣意的な分節です。そのうえで、もろもろの観点からどちらの分析がいいか比べればいいのです。
posted at 10:27:19
@awesomenewways それ山勘ですか?
posted at 10:21:27
グレートサイヤマンになれそう
posted at 10:20:07
@awesomenewways 例えばどんな例ですか。
posted at 10:17:58
@linglanglong 似た話ですが、そもそも英語力がないので英文の意味論的意味以外を読み取れないということも関係していると思います
posted at 10:16:22
@awesomenewways そりゃ学問なんですから意識的にやりますよ、としか。それであまりに言語データや話者の直観に合わない分析は棄却すればいい話です。
posted at 10:14:30
@awesomenewways 先ほど私が言った「恣意的」とは「他の分析がありえてもいい」ということです。なんでも同程度に妥当とは言っていません。妥当性の高い分析とそうでない分析は当然あります。
posted at 10:06:40
@awesomenewways そうですが、それがどうかしましたか。
posted at 10:01:51
@awesomenewways それは簡単な話で、言語分析は客観的な正解不正解が見えないからです。いろいろモデルを作って、それに対して、データとの整合性、シンプルさ、「ありそう」かどうか、などを勘案して、こっちのモデルのほうがいいかなーとか考えるのが言語学です。問題なのは恣意的なことではなく最適でないことです
posted at 09:56:01
@arg_Aikawa_ ァが謎ですね。それになぜCongoはカンゴウと書かないのか…
posted at 09:49:11
@awesomenewways 何をもって恣意的だと? Cranberryからberryを切り出すのがそう恣意的とは思えませんが。語源や正書法にひっぱられて、たとえば「行儀」の行と儀を分ける、みたいなのは流石にやりすぎだと思いますが、それは普通はしませんし。
posted at 09:47:09
@awesomenewways 形態素の認定には慎重になるべきです。それで済む話では?
posted at 09:42:03
@awesomenewways その語だけでなく形態論全体で見れば、語間の関係とかじゃありませんか?
posted at 09:39:33
@sappawayya 考えてみれば、前置詞のdeを組み合わせてde desとかde duとは言えないし、前置詞っぽさが少し残っていますね。
posted at 09:31:38
@awesomenewways 私見ですが、別にその語をどうこうしたいということではなく、across the boardに立てたモデルに従うとそうなるというだけです。「調べたいこと」に合わせていちいち分析を変えていたら学問になりません。
posted at 09:28:26
「とにかく本を買い、読み漁った経験」こそブックオフの110円棚ですることじゃん
posted at 02:31:45
私は中高と神保町に通ってましたが、千葉から神保町に出てきた中学生なんて当然金がないので、すずらん通りの4冊100円本でナップザックを一杯にして帰って濫読という、今のブックオフと同じ使い方してましたね。古本屋さんのキュレーション機能にお世話になったことがない twitter.com/cielJF/status/…
posted at 02:27:04
@ndachrjanku この方、普段割とニュートラルなスペイン語を書くので、どっちかわからないんですよね。ただ「ファン」の意味でhinchaはメキシコ人からも聞いたことがあります。多分サッカー用語かと
posted at 02:08:01
災害のたびに「罪悪感を金で解消する」ことについて考えます。君は被災者に共感しなくていい、一樋口寄付するなら。君は被災者を指さしてケラケラ笑っていい、十倍寄付するなら。君はそれによって一円も出さない共感者より多少ましなことをしている。
posted at 01:53:42
@sappawayya 決めたというか、みんなそう使い始めたのでそうなったというか
posted at 00:54:17
@sappawayya 内なる神だから人の礼儀は介在しないっていうイメージでしょうか。
posted at 00:53:52
@ndachrjanku hincharと関係があるんでしょうが、膨らませることと憎むことになんの関係が…
posted at 00:52:26